Scribble at 2024-06-13 11:31:52 Last modified: 2024-06-26 11:51:14

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人生がうまくいっている人は絶対に言わない…心理カウンセラーが教える「不幸になっていく人」の残念な口癖

まず、科学哲学あるいは哲学に限らず、プロパーやプロパーに近いところまで学術研究なりアウトリーチの経験をもつ人からすれば、少なくともこのようなタイトルを自分でつけるような人間がまともな学術研究者だったりアマチュアであるなんてことはないんだよね。皮肉なことに、「まともな学術研究者なら『絶対に言わない』」とすら言えるのが、この「絶対」という言葉だ。レトリックとしてすら、「絶対」とか「必然」なんて言葉を多用するやつは、たいてい馬鹿だというのが学者としての通り相場だよね。これは古今東西。なので、馬鹿が書いているものをぶっ叩いてるだけだから、弱いもの虐めの現場を見るのが苦手な方は以下の文章を読まなくても結構だ。

心理学という分野が、現状も未熟な段階にあって、おおよそ3割がまともで残りの7割は思い込みと素人認識論で学問をやってるような山師どもも抱えた学問であることは明白な話なのだけど、そういう現状に輪をかけて、無知無教養なジャーナリストや出版・マスコミの聞き書きサラリーマンどもが作っているメディアでは、やれアドラーだのマズローだのという三流を表面的な分かりやすさや、昔ながらの道徳なり修身と結びつけて、まるでメジャーな学派であるかのように過大評価してるありさまだ。そして、ご承知のとおり『嫌われる勇気』といった通俗本で出版社と著者の小遣い銭が増えるだけの社会的な効果しか生まなかったり(読む側には何の効用もない。たとえばこれを主に読んでいるとされる、僕もその一人だが企業のバック・オフィスの人間は、そもそも入社したときから法律や社内規程を無視するデザイナーや営業、あるいは経営陣との軋轢にさらされる訓練を受けたり経験を積むわけで、三流の学者に教えてもらうことなんぞないね)、人々の思考や金銭に多くの浪費を引き起こす。40年前なら、西武セゾン・グループと博報堂も仕掛けを担っていたポスト・モダン・ブームにおいて、「うれしい消費」だの「大衆は正義だ」だの「バタイユの『蕩尽』」だのと浪費を正当化するバブル文化人(結局は左翼でもリベラルでもなかった吉本隆明だとか、もちろん転向組の一人であった栗本慎一郎など)の言う事を聞いているだけで自己正当化になったわけだが、いまやそんなカス思想は通用しない。当時では最も有名でありながら最もマシだった浅田彰氏の「逃走=闘争」というコンセプトですら、もう既に新左翼の残滓という印象ばかり残っていて21世紀においてはリアリティも説得力もない。

とまぁ、こんな具合で、いまどきポジティブ思考とは恐れ入る。なんでも、「どうして?」と聞くような人間は不幸なので、身の回りに起きることは全て積極的・肯定的に理解し受け入れたらいいんだってさ。これはもう、自民党の下請けでソーシャル・メディアのアカウントを運用している代理店で働いてもらいたいくらいの人物である。ただし、プロフィールを見ると「独学」の心理カウンセラーを名乗る人物らしいから、たぶん公認心理師の資格すらもってなくて、いや公認心理師の受験テキストすら見たことがないんだろう。だから、いまだにアドラーとかマズローとかがまともな心理学の学説だとか学派だという、通俗的な読み物だけで独学して自足したと思い込む(「心理カウンセラー」を名乗ってるということは、他人にものを教えられる水準に達したと判断したのだろうから)ようなアマチュアができあがってしまう。

思うのだが、こういうのってバイト学生が他人のサイトをコピペして記事を書いていた WELQ みたいなサイトのコンテンツと何が違うんだろうと思うんだよね。だって、アマチュアにメンタルの話を勝手に書かせてるわけでしょ。なんとも思わないのかね。それともこういう連中にも記事を書かせることこそ「民主主義」だと思い込んでるのかな、最近のマスコミにいる小僧って。

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