Scribble at 2023-06-08 11:27:37 Last modified: 2023-06-08 11:29:36

Scribble at 2023-06-08 10:10:21

[MD から転載]

僕が専攻している科学哲学でも同様に、新しい話題に取り組む、つまりは未開の土地に足を踏み入れるにあたって、それこそ牧野富太郎のように植生や環境を壊さずに進んでゆくか、あるいは巨大なブルドーザで全てを薙ぎ倒して行くかで、後から同じ土地を訪れた人々の理解や印象も変わる。僕らが初心者にも古典の通読を薦めるのは、そもそもその土地(哲学)に足を踏み入れる必要を感じているのであれば、そこでどういう努力が必要なのかを心得るところから知るべきであって、ブルドーザで舗装された道を進む(つまり通俗本や「わかりやすい」本ばかり読む)だけでいきなり最深部に着いたところで、イージーに進んできた人には何もできまい。寧ろ学問を修めるとは、その最前線での苦労に本質があり、整えられて奇麗な図や表でまとめられた通俗本の解説なんてものを読み漁ったところで、あなた自身の為すべきことについて夥しい分量の通俗本から学べることなんて、些末な専門用語や、本当のところあなた自身にとって殆ど関係のない話題の他には、殆どないのである。未開の土地で最前線までたどり着いたあなた方が、更に先へ進もうとしても、あなたの代わりに道を舗装してくれる小川仁志だとか千葉雅也とか飲茶とか田中正人とか(『哲学用語』の著者らしいが、どこの教員なんだろう。業績もきいたことないし・・・ああ、デザイナーなのか。もちろんデザイナーがこういう本を書いてもいい。こうして科学哲学をやってるデザイナーやエンジニアもいるんだから。でも、デザイナーとしてもこんな人は聞いたことないな。どのみち広告代理店とかにいて伝手で本を書いてるような連中の一人だろう)、誰でもいいが、この手の連中があなたのために道を舗装してはくれないわけである。それとも、あなたのお気に入りの道が設えられるまで待つのかね? そのうち死んじゃうよ、人間なんて。

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