Scribble at 2021-09-11 21:21:52 Last modified: 2021-09-11 21:34:08

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どうして僕がこのサイトで何度も何度も、小川仁志を始めとして、國分功一郎、青山拓央、千葉雅也、苫野一徳、内田樹、池田晶子、岸見一郎、あるいは哲学プロパーでなくても山口周、飲茶、出口治明といった人々の著作をこきおろしているのかというと、簡単に言えば読み手にあるだろう切実な欲求へ、一般書の体裁であろうと誠実もしくは愚直に応える者が、この国にいないからだ。

一般向けの本や通俗書を出版するのはいい。そんなことに文句は言っていない。

僕だって上記の連中を「無能」呼ばわりしているのだし、科学哲学の概論を電子書籍としてまとめるくらいの構想はある。それは、従来のインチキ入門書とは違って、本当に平凡な高校生が真面目に勉強すれば通読できるものだ。よって僕の予定している概論は、これまでの哲学概論を書いてきた無知な連中が〈標準的な〉高校生として想定する開成高校や灘高校や僕の母校のトップ 1/3 つまりは偏差値が最低でも80ある高校生を、実質的に〈哲学を学ぶ資格のある若者〉として無自覚に足切りする愚行を繰り返すような出版物ではない。僕は、高校を卒業した時点では偏差値が50もなかった自覚があるので、当時の自分自身に教えるように書けばいい。そういう数値と哲学的な才能や書籍の編集能力(ちなみに僕は元雑誌編集者だから短期間でもプロだったのは事実だ)が何の関係もないことをはっきりと証明してやるから、お前たち洋書を読むしか能がない「ライター」どもは覚悟しろ。

なんにせよ、上記で並べた凡愚どもと言えば、著作物の構想から編集や装丁あるいは販促に至る、何から何までマーケティングのことしか考えていない。誰がそんなものを読む筈なのかという想像力がゼロだ。僕のように電通や博報堂と仕事をしてきた広告系のデザイナー&プログラマ&サーバ・エンジニア&企業の部長という卓越した才能と経験の人間から言って、クズとしか言いようがないレベルで展開しているくせに、消費者からどう見えるかという自意識のことしか考えていない。自意識で哲学を論じる人間は、絶対に他人の迷惑にしかならぬ。それは、同じように自意識で哲学を弄ぶのが格好いいとか、自分には哲学しかないなどと思い込むような未熟者やクズしか引き寄せないからだ。

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