2019年10月19日 に初出の投稿

Last modified: 2019-10-23 09:57:56

さきほど、母親が持っていた保険証の転居記録を見ていた。昨年の今頃に亡くなって葬儀を済ませた後に、色々と整理していた書類を撮影しておいた写真が残っている。それこそ、火葬証明書とか病院の領収書とかもあるのだが、保険証の転居記録は母親だけでなく(少なくとも独立して生計を立てるまでは)僕の転居記録にもなっているので、子供の頃に住んでいた場所の住所が分かって興味深い。ただ、保険証に記載する住所は戸籍などに記録する体裁と同じで番地までしか記載していないようだ。なので、マンションやアパートに住んでいた記憶はあっても、部屋番号までは正確に覚えていないので、父親に思い出してもらうのも心許ないため、他に実家で残している書類を探すしかない。

それにしても、これまで随分と引越しを繰り返してきたものだった。いま連れ合いと住んでいる部屋は15年以上になり、同じ場所に住み続けて最も長い。それに比べて、保険証を見ると、長くても4年くらいで転居している。東京の目黒区緑が丘から大阪に移った後は、大阪市から八尾へ。そして大阪市内へ戻り、今度は奈良へ。奈良から東大阪へ、そして東大阪の中でも永和から東花園へと、僕が小学校6年になるまで6回も引っ越しを繰り返している。それから僕の記憶では、東大阪に移る前の数週間だけ羽曳野市の高鷲というところの駅前に住んでいた記憶があるから、そういう短期間の転居は記録されていないのだろう。そして、東花園に移った後は、僕が高校2年生になって一人で大阪市内の父方の祖母の元へ引っ越したり、高校を出てから東京の板橋へ行ったりしたのだが、両親はその父方の祖母(つまり父親の母)が亡くなった後に大阪市内へ移ってからは引っ越していないので、いま父親が独りで住んでいる家に30年くらい暮らしていることになるのだった。これは、少なくとも僕が生まれてからの引っ越しの多さに比べて意外な落ち着き方だが、父親が会社を辞めてから母親が准看護師として病院へ勤めたり僕が仕送りして、年金をもらうようになってからは二人とも働かなくなったため、引っ越す理由もなくなったのだろう。

30年前と言えば、父親の年齢では50歳を過ぎた頃で、まさに今の僕と同じ年代である。大昔ならご隠居さんといったところだが、もう現在はそんなわけにもいかない。国の言うところでは、あと20年ていどは仕事をしなくてはいけないだろうし、現実にもまだまだ仕事をしないと生活などしていけない。年金に大きな期待はできないし、収入が劇的に上がっていく見込みもないのだし(僕は再び役員に戻るつもりはないので、いまの部門長クラス・・・とはおよそ他人には言い難い金額で年収は天井だと思う。もっとも、昔はそれなりに過剰なほど貢献はしたが、日本のベンチャーやウェブ制作の業界では有能な人間ほど報われないと分かったので、いまは年収に見合った時間と工数しか仕事なんてしてないがね)、それなりの年収で仕事が続けられるようにしていくしかない。まぁ、僕のような人間は70歳でもネット・ベンチャーの最高頭脳なり最高技術者を続ける自信はあるが、生理的な能力の減退は避けられないので、そのあたりは工夫なり調整が必要なのだろう。

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