2019年07月02日 に初出の投稿

Last modified: 2019-07-09 09:20:01

さきほどトイレで『障害者の経済学』(新版)を読んでいたら、経済学は障害者と健常者を善悪だけで区別するようなことをしないからこそ正確な分析ができるのだという解説を見つけた。このときに思い当たったこととして、こういう抽象化や形式化による説明というのは、哲学の教科書でもたびたび見受けるものだろう。そして、それ以外にも哲学を説明したり正当化する手法として、広辞苑論法や OED 論法もあるし、何か卑俗なネタから説き起こす人もいれば、いきなり自分の造語をまくしたてる人もいる。では、それらの月並みな(としか思えない)議論を可能な限り列挙してはどうなのか。それでは紙が足りないなどと下らない言い訳をするなら、自分の大学にサイトでも作って公開すればよいだろう。哲学について啓発を志しているなら、岩波書店や勁草書房から 3,000 円ほどの単行本として出版できなくても、多くの人々に内容を伝えられるなら本懐というものではないのか。

ちなみに追記しておくが、僕は古典から「哲学」について定式化されたり定義された片言節句を抜き出して資料集を作れなどと言っているわけではない。そんなことは、日本語の文章さえ読めたら来日して数ヶ月のベトナム人やドイツ人でもできる。プロパーに望んでいるのは、そんな WELQ レベルの仕事でなない。

(7/9 に修正。「勁草通信」になっていたが、なんで「つうしん」などと関係のない単語をタイプしたのか分からない。)

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