2019年06月27日 に初出の投稿

Last modified: 2019-06-27 12:58:59

あまり大声では言ってないし書いてもいないのだが、マイクル・トゥーリーのサイトで掲載されているような、因果関係の哲学について概略を書いておきたいという意志がある。科学哲学全般となると、まだまだ勉強が足りない分野もあるので難しいが、各論の範囲であれば大きくデタラメなことを書いているわけでもないというていどのものは書ける(というか、入学試験や口頭試問でも資質は試されるので、その程度すら書けない人間が博士課程に進めるわけがないと思っている)。昨今は確率・統計のプチブームが続いているので、そのうち新書で『因果関係の哲学』などと岩波新書かちくま新書で、一ノ瀬さんか誰かが書くかもしれないのだが、僕が想定している概論はそういう(どのていど良く書けたものであろうと)通俗本とは違う執筆・編集方針を予定している。これは殆どライフワークになるかもしれないが、ひとまず現時点で予定している方針を書いておく。

おおまかには、僕は通俗書の多くが取り入れて垂れ流してきたような類の短絡化、単純化、そして図式化には反対である。何度も書いてきていることだが、哲学を「中学生(たいていの筆者は灘中学の秀才をモデルにしている。そうでないというなら、あなた方は単に世間知らずというだけである)」に語らせたり、幼女のイラストで漫画にしたり、読みやすいというだけの愚にもつかない御伽噺として描くなどということで、文化的な尺度で言って読者の知的レベルが 1mm でも向上した証拠など、古今東西ありはしない。それは、フェルミ推計だろうと実験哲学だろうと好きに調べてみればいいが、人類の歴史そのものが証拠だと僕は言いたい。もちろん、プロのデザイナーでもある人間がマルチ・メディアやイラストという表現を否定していると思ってもらっては困る。僕が言っているのは単純なことであり、これまで哲学書に使われてきた図表やイラストや漫画の類は、ありていに言って無能の仕事だったというだけのことである。漫画の哲学用語辞典みたいなものを二冊本で読んだこともあるが(いしいひさいちみたいな絵柄)、あんなものは内容としても、そして漫画として評価しても、紙くずでしかない。日本の通俗本の殆ど全ては、凡庸なプロパーが書いて無能がデザインした代物なので、何の影響や効用がなくても当然なのである。

こういう通俗本が根本的に編集・執筆方針として間違っているのは、通俗化と、いわゆる情報へのアクセシビリティやユーザビリティというコンセプトとを取り違えているからである。ジョークで哲学を語るだの、幼女の成長物語に哲学的な議論をさしはさむといった技巧を凝らすときに、そういう通俗本の著者や編集者がやっていることは、「わかりやすさ」という、言語哲学や認知科学の哲学や教育学として専門的な見識があるのかどうかも疑わしい、思い込みや常識だけしか裏書きのないイデオロギーのようなものを基準にした、徹底的な単純化と図像化でしかない。要するに漫画にすれば「わかりやすい」(編集者の内面であれば「売れやすい」と言い換えてもいい)という、実は何の根拠もない思い込みや、文章の方が何か高尚で理解するのが難しいという、希薄ながらも差別的な感覚に頼っているだけのことなのである。僕が、こういう連中を無能だの馬鹿だのと明白に罵倒しているのは、これが僕から見て動かぬ事実だと想定できるからだ。文句があるなら反例(イラストを使って何千人の生徒にものごとを理解させたり議論してもらった実績があるといった)を見せてみろというわけである。

このような場合、多くの人々はこういうことに成果を求められても困るという。しかし、それは単に成果を調べたり測定したり評価するための社会調査や統計学の知識や経験がないから手が付けられないだけだという可能性もある。ここでも、何の根拠もないのに「哲学には直接的な成果というものはない」などという、詩的な言い回しを振りかざして正当化を図ることしかできない様子が手に取るように想像できる。まさに、僕が何度か書いてきたように、自分のやっていることにこそ哲学を適用するべきであるという、ウィトゲンシュタインを始めとするまともなレベルの人々なら絶対に同意するはずのことを、こういう本の著者たちはやっていないだけなのだ。なぜか。やったら時間も金もかかるし、本の出版というものは一定の工数を想定してファイナンスに動いたりするものだからである。要するに、哲学とは何の関係もない人間関係や個人的な能力や業界慣行という事情で、そういう本は出来上がっているのであり、そういう本こそ、哲学を語る資格のないデタラメの成果なのだ。

そういう意味では、「哲学入門」と称してぜんぜんプラトンもデカルトもハイデガーも出てこない本を書いた戸田山さんの本は特筆するに値するし、ほとんどベーコンのイドラの話だけで通した岩崎武雄さんの本だとか、田中美知太郎さんの本なども例外的な著作であり、出版社はそれらを重版したり復刊するだけでよいのである。

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