2019年06月21日 に初出の投稿

Last modified: 2019-06-21 11:14:29

Are The Most Irrational Animals

iai のこの記事はどうでもいいのだけれど、この手のイベントなりプロジェクトなりシンクタンクでも、場合によっては学会や雑誌やメディアでもいのだが、最初は鳴り物入りでデネットだドーキンスだと有名どころのトーク・ショーや講演会やレクチャーを続けていても、そのうちセコイ研究者のデタラメなブログ記事を集めただけのロクでもない媒体に成り下がり、協賛する企業や自治体もなくなってしぼんでいくというのが定番のライフ・サイクルだ。そして、とりわけアメリカはこのようなプロジェクトがたくさんある。

この手の、いわば fragmentation とも言える状況は、一つに自由とか自主独立といったメンタリティに支えられて続々と trial and error やっているとも言える。ともかくどこかから資金を調達して一定の成果を出せたら、企業で言う going concern など知ったことかという、打ち上げ花火的というか電通的というか、要するに場当たり的なチャレンジの繰り返しで何か《良いこと》が起きるという、僕に言わせれば宗教的とも言える信念で動いているように見受ける。いかにも移民の国にふさわしい話だが、こういう思想や社会政策としての《実験》にすぎないものを一つの理想であるかのように称揚することは控えたいというのが、まともな「保守」の思想だと言いたい。

もちろん、こういうリサーチ・プログラムを自主的にそれぞれが始めるのは推奨されていい。しかし、それが別に理想的なプログラムだとは限らない一つのコミットメントでしかないという見識は必要であって、そこを踏み外すと別の意味での多様性が失われるのだ。したがって、真の保守思想というものは原則としての多様性を維持するために、派手な見た目のキャンペーンやイベントの「多様性」だけに偏る状況へストップをかける役割がある。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook