2019年05月25日 に初出の投稿

Last modified: 2019-06-19 11:27:00

どこかで読んだ覚えがある話なのだが、哲学者が単純な原則を立てて短絡的な議論をしているように見えたり、あるいは一個の原理に固執して頑なな態度をとっているように見えてしまうのには、理由があるという。そして、そういう見え方をしていても背景には複雑で深遠な見込みや思考の過程があり云々という、他人が自分たちの解釈学をやって同情したり尊重してくれるものと思い込む、社会科学的な状況理解を欠いた自意識プレイの正当化が続く。いつまでも大学生協のカフェで哲学を論じているような状況でしかものを考えたり議論できない、成金お坊ちゃんたちの《分析》哲学にはウンザリさせられるが、既に述べたように日本の哲学プロパー、とりわけ頭の回転はよくて外国語をよく読める諸君は、やはり何か集団的な厭世観を共有しているのだろう。よって、ロクな実績も出さずに素人と何とかカフェのような暇潰しを繰り広げたり、臨床だ何だと医療や心理カウンセラーの真似事をしては哲学の社会貢献という短絡的な理解を押し進めたり、最初から《子供用の哲学》や《素人向けの哲学》を固定した上で philosophy for everyone だの高校生向けのセミナーだのを開催しては、更に制度的な枠組みを補強するという、本来は哲学者たる者としてありえないことを世界中で繰り広げる。つまりは、哲学の研究者として何を為すべきかということについて、実は何も考えずに大学のポストを握っていたことに気づいた人々が世界中にいるというわけだ。であれば、哲学者として自分が何をやらねばならないか分からないなら、大学の教員に残された仕事は教育やアウトリーチしかあるまい。しかも、大半の哲学プロパーは学級経営や子供の心理学など勉強せずに教師の立場に身をおいている《素人教師》なので、(殆ど「自然法則」と言って嘲笑してもいいくらいだが)彼らに出来ることは、最初から通俗本を書いたり素人教師として何とかカフェを開くことしかなかったというオチが待っている。

要するに、分析哲学だろうと現象学だろうとポモだろうと、あるいは他のマイナーな何かをやっていようと、彼らは既に「哲学者」としての何か切実さや厳格さを共有しているわけではなく、どちらかと言えば自意識だとか、大学でのポストだとか、あるいは何か社会へ貢献しなくてはいけないといった焦りみたいなものを共有しているだけの、何か非常に異質な人々に思える。それこそリチャード・ローティが「あの昔懐かしき哲学」で(皮肉だったのかどうかはともかく)語った哲学者の定義と同じだ。もちろん、そうでない人もたくさんいるので、まさか大学に在籍するプロパーが単なる薀蓄垂れの洋書読みにすぎないとか(そんなもん編集工学おじさんや元ゲーム作家の小僧だけでたくさんだ)、そんなことを言っているわけではない。僕のようなアマチュアに比べれば、まぁそれで飯を食べているのだから必要以上に賞賛するつもりはなく当然の責務だとは思うが、有効な業績を上げているプロパーもたくさんいる。

そして、何度も強調したいことだが、学術研究というものは(僕の区別と定義による)思想とは違うのであって、本質的に分業でしか業績を蓄積したり継承できないものなので、そうした業績は些細なものであっても常に奨励したり賞賛するべきである。よって、それが岩波書店から刊行される堂々たる個人全集だろうと、hatena blog に投稿された短いエントリーだろうと、そんなことは哲学者であるわれわれにとってどうでもよいことだろう。だからこそ、翻って哲学のプロパーが「これは依頼業務だから」などと言っては安っぽい論説を総合雑誌やオンライン・メディアに投稿したり、キャバクラのチラシみたいな表紙の哲学入門書なるものを手がけることも同じ理屈で非難に値するのである。数年前までは、そうした瑣末で底の浅い出版物を何億冊と発行したところで、それらを読んで大学の哲学科へ進むような人はもともといないし、それどころか市井で哲学の議論へ関心を持ったり、相手のそうした議論を尊重するうようになる人すら、殆ど増えないと言ってきた。そして、その「殆ど」という見込みは社会科学的なスケールで言って数百年後の将来の世の中に何らかの違いが認められるには程遠いと言えるくらいの影響しかないだろうと思ったのだが、もしもっと影響が大きいなら、やはり良くないと判断したものは早期のうちに叩き潰すべきであろうし、あれやこれやと世の中に現れる雑多な商品なり言動について、人数の少ない大学の哲学プロパーだけに期待して評価したり対応させるのは効率が悪い。もちろん、そうした判断には誤りもありうるのだから、寧ろそうした対応こそアマチュアが率先して行うべきだと思う。そういうわけで、僕はこうして僕自身が愚かなことだと判断した物事は、哲学プロパーがかかわるイベントやブログ記事や出版物や公での言動だけに限らず、同じアマチュアや素人によるものであろうと、叩き潰しているわけである。

当然だが、そういう判断は常に誤りうるので、僕がここで書いていることを批判してもらうのは何も問題がない。こっちも書いているので、他人に「バカ」だの「無能」だのと書かれても、それはそれで仕方のないことだ。とは言え、みんなで叩き潰すだけでは何も進展しないのは明らかなのだし、既に述べたように学術というものは分業でしか成立したり維持できないので、相手の成果を信頼したり尊重し、一定の尺度でしかるべき業績と認めたら素直に賞賛することも同時に押し進めなくてはならない。当サイトで賞賛する事例の方が圧倒的に少ないのは、単に僕が積極的に賞賛するべき事例を探していないからだ。公に出回る出版物やメディアの記事を RSS などで眺めているだけであれば、まともな業績よりも馬鹿げたイベントや浅薄な通俗本の宣伝が優先して配信され目に付くようになるのは、ソーシャル・メディアではありふれた実態だろう。周りにバカが多ければ、バカを叩く頻度が増えるのは当たり前である。

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