2019年05月09日 に初出の投稿

Last modified: 2019-05-09 09:39:09

The Blacklist was designed to take the place of the controversial Beall’s List, which had recently shut down after being operated out of the library office of Jeffrey Beall for about five years. Beall’s List had offered a mixed bag of benefits and problems from the start, and Cabell’s (publisher of a long-respected serials directory) sought to create a more rigorous and consistent version of the same service.

Cabell’s Predatory Journal Blacklist: An Updated Review

意図は分かるし、これからも必要なリストだろうとは思うのだが、その前に wannabe academicians の皆さんには学術研究者の見識というものを弁えるべく、馬鹿みたいな乱読でつまらない薀蓄を溜め込む暇があったら頭を使って考えてみてはどうだろうかとお勧めしたい。とりわけ哲学の研究者を目指すみなさんには強く提言したい。

(そもそもだな、なんで哲学をやろうって人間が、学生時代にこのていどのメタレベルの実務について何も考えないのかということでもある。現代において哲学研究者とは殆ど世間的には大学の哲学教員のことであり、"professional philosopher" とは、つまるところ実務家であって、周りのステークホルダは大して期待も関心もないかもしれないが、業界内では業績達成を求められる知的ブルーカラーのことである。実績を上げてナンボの人間が実務を知らないとか考えてないなどというのは、ネジ工場の労働者がヒヤリハットなり QC に何も関心がないのと同じであろう。そういう人々は、簡単に言えば数十年もすれば RPA で置き換えられてしまうだろう。)

まず、学術誌を手にしたこともないウブな小学生や中学生(まさか研究者志望の人間が、いまどきネットで幾らでもアクセスできるジャーナルの論説を、大学の図書館で手を触れて初めて読むなどということはなかろう)であればともかく、高校生以上であれば、自分が興味をもっている分野の書籍を手にするのは自然なことだろう。それは、大学で使う教科書でもいいし、研究書でもいい。そうした書籍には(良い教科書なら当然のことだと思うが)、当該分野の代表的なジャーナルが紹介されているし、もちろん執筆にあたって参照した論文が文献表に掲載されているだろう。そういう箇所から抜き出すなり、何度も目にするなりという経験を通じて、おおよそどういう雑誌が読まれているかを誰でも理解すると思う。

つまり概説書や研究書を読んでいれば、正当な新進の学術誌も含めて除外されてしまうにしても、当該分野でスタンダードと見做されている学術誌など、誰でも分かるようになるのだ。科学哲学だと、ERKENNTNIS、Synthese、BJPS、Philosophy of Science、ISPS、Studies in History and Philosophy of Science、Studia Logica、Philosophical Studies、ISIS、Foundations of Science、History and Philosophy of Logic、といった誌名は、実際に手に取る機会があるかどうかは別として、目にすることはあるはずだ。それ以外に、https://philpapers.org/journals/ のようなページで夥しい数のジャーナルが列挙されているが、はっきり言って実際に殆どの研究者が読んでいるのは20誌くらいだろうし、そもそも多くの大学図書館では哲学の学術誌をそんなにたくさん購読してくれるわけがない。もちろん年間購読料が数十万円の旧 D. Reidel 系のジャーナルをプライベートで取り寄せている人もいるにはいるが(英米系哲学の専攻ではないが、関大クラスの大学ですら、毎月の小遣いが二桁後半という先輩が何人かおられたくらいだ)、読む分量にも生理的な限界はあろうし、社会的な限界だってあるだろう。加えて、当然ながら読むべきではないものを読む必要はないのだから、どれほど家に資産があろうと無制限に色々な雑誌を講読するわけもない。よって何らかの限界は必ずあり、実際には金持ちだろうと貧乏だろうと致命的なほどの差はない。これも「実験哲学」とやらを標榜する人々が、本気で哲学の実務や哲学研究者の思い込みや学界の偏見などを研究したいなら調べてみればいいと思うが、読んだ論文の数が単純にアカデミックなポストやテニュア取得の成否や業績の数に比例するのかどうか、自明とまで言えることなどないと思う。

したがって、自分が所属する大学の図書館などを利用して手元で読める雑誌からスタートするのが当たり前だし、学生なら大学図書館どうしの連携で他大学から雑誌論文をコピーして取り寄せたり、いまではオンラインで1本ずつ(書籍1冊ぶんていどの値段なので割高だが)購入もできる。そして、どの雑誌に掲載された論文であるかを覚えてさえいれば、predatory journal の論文なんてまず出てこないのである。特に、哲学では大昔から採用人数は全世界を見渡しても少ないので、論文の数で採用が決まることはなく、幸か不幸か predatory journal にまで論文を無理に掲載して数を積み上げる必要が無いから、なおさら広く読まれている教科書や研究書の文献表に predatory journal の論文が出てくる可能性は限りなく低い。

しかし、学生が手に取った教科書や研究書がバカの書いた自称概論や自称研究書だったらどうか。もちろんそのリスクはある。先に「広く読まれている」教科書や研究書の文献表に predatory journal の論文が含まれる可能性は低いと書いたが、初心者には或る本が広く読まれているかどうかを判断するための情報がないからだ。もちろん、大学では教員がそれを教えるのが責務だと思うし、先輩から教わったりもするだろう(怪しいことを教える教員や先輩がいる可能性もあるにはあるが)。それに、「広く読まれている」とは当該分野を専攻する学生や教員が読んでいるという意味であって、「たくさん売れている」という意味ではない。売れたというだけなら、出版社や取次ぎや広告代理店や業界団体が嘘ついていなくても、買って実際に読んでいる人など(特に学術書は)半分もいないのが実情というものだし、読んでも読まなくてもいいような人々がおおぜい手に取ったからといって、それだけで何かの論証ができるものでもないことは明らかだ(何度も書くが、『ソフィーの世界』や『超訳ニーチェ』に始まって、《コスプレ・ソクラテス系》の哲学エッセイや、郵便がどうとか小平の高速道路がどうしたの、あるいは最新技術にかこつけた AI と哲学がどうしたとかいう「自称概論」や「自称哲学書」が売れて、世界が少しでも「(どういう意味にせよ)良くなった」と本当に厳密に議論の余地なく論証できる哲学教員がいたら、それこそ書いた本人ともどもノベール文学賞を授けてもいいだろう)。

しかし、そういうリスクについても大して心配することはないと思う。どういう理由でか「哲学をしたい」などと思い込んでいる自意識過剰な若造を別とすれば、ふつうは問題意識や疑問が先にあって、それを調べたり考えているうちに「哲学」と呼ばれる分野の本だとか論文を読むようになっていたというのが、自然な経路だと言えるからだ。発生論的に言って、出来合いの社会制度的な区分にすぎない分野とかジャンル、ましてや学校制度の中でしか意味がない学科という区別の中で関心をもつようになった人であっても、自意識で学問に携わるという外道でもない限りは、自分の取り組むテーマにとって既存の学科やジャンルが何の問題もなく適しているとは限らないとか、他の分野の知見も利用できるとか、既存の学科やジャンルの(ポモや現象学でお馴染みの言い方をすれば)パースペクティブが安定しているとは限らないということに気づくだろう。というか、そういうことに気づかない人間に、ふつうは「独立した研究者としての能力がある」という意味での博士号を授けてはいけないはずである。

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