2019年04月14日 に初出の投稿

Last modified: 2019-04-14 12:18:42

僕は、これは出版社の編集者も含めて「そうあれかし」という思弁にもとづく資源の浪費だと思う。

昨日、Messages ではこんなことを書いたけれど、「測定対象」は幾らでもあるんだよね。僕は日ごろから国内の人々を話題にしてるけど、そういや海外でもレベッカ・ゴールドシュタインなんていう「大物」がいるよな。しかも、国内の科学哲学プロパーは通俗本の書き手としては正直言ってしょぼい人ばっかりだけど、ゴールドシュタインは科学哲学の元プロパーとして大きなパブリシティをもっているらしい。なんと言っても Edge という文化版フリーメイソンの会員だし(笑)。それに、彼女は小説家でもあるから、言い換えると(売り上げという意味での)スケールが小さいアイン・ランドとも言える。

じゃあ、もしゴールドシュタインの書く小説とか通俗的な哲学書が、アイン・ランドほどではないにしても多くの学生や社会人の考え方に影響を与えて、目に見える結果があると言えるなら、確かに通俗書にも人の思想へ一定のインパクトを与える力があると言えるのだろう。よろしい。それはそれで事実なら事実として認めようじゃないか。

ただし、もし本当にそんなことが言えるなら、そんな「危険物」を政府や政治団体が何の利害関係も考えずに看過するわけがないのであって、アメリカにおけるアイン・ランドのように敢えて放置している(アイン・ランドを読んで、モスクや連邦議会を爆破したり、経営者や議員をライフルで暗殺するような人はいなかった)としか思えない。すると、政府によって保護されているような思想なのであれば、僕らとしてはそれゆえに警戒して哲学の通俗本を取り上げたり、内容や表現手法を批判的に吟味しなければいけない。今後、食えなくなってきたら岩波書店ですら、キャバ嬢のコスプレ・イベントかと思うような表紙のイラストを使った哲学書を出版するだろうとは思うが、そんなことに騙されて内容がどうであるかを見過ごしてはいけない。

「お前たちが気楽に書くものはクソの役にも立たない紙屑だ」と言われるのも不愉快だろうが、かといって「お前たちが迂闊に書くものは世の中にとって無害であるがゆえに思想的には有害だ」と言われるのも不愉快だろう。結局のところ、無能がやることなんてなんであろうとロクな結果にはならないのだ。

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