2019年04月11日 に初出の投稿

Last modified: 2019-04-11 17:34:34

90年代に国が進めた「大学院重点化」で、大学院生は急増した。ただ、大学教員のポストは増えず、文科系学問の研究者はとりわけ厳しい立場に置かれている。首都圏大学非常勤講師組合の幹部は「博士課程まで進んでしまうと、破滅の道。人材がドブに捨てられている」と語る。

文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死

この組合幹部とかいう人物は、当人が人文・社会系の素養がないのか、こういう馬鹿げたコメントを口にする暇があったら仕事をしていればいいのになと思う。博士課程に進むと「破滅の道」? 「人材がドブに捨てられている」? どういう料簡で喩え話をしているのか。

就職する先がないというのは、当サイトでも何度か書いてきたが、日本の高等教育制度においては何十年も前から言われてきたし、その実態がますます厳しくなることは、たいていの人が大学へ入ったときにすら予想できたことである。ましてや学術研究者を志望する人間は、修士ていどなら暇つぶしに進学するような人間が山ほどいるのは知ってるが、いくら何でもドクターに進むなら就職が難しいということくらい弁えておくのが当たり前だ。僕は学部へ入る前から研究職を志望していたので、既に大学へ入ったり大学院へ進んでいた友人に色々と話を聞いていたし、自分でも大学で使えるようになった「インターネット」というものを使って全国の大学の研究室の情報が分かれば見ていたりしたものだ。というか、そんなことをしなくても修士に進学すれば上級生の多くが進学に苦労しているとか、在学生よりもオーバードクターとして研究室の机を使っている人の方が多かったりする実情にも気づくだろう。特に哲学科の学生ともなれば、少子化などという話が新聞に一言も出てこない頃から就職難は規定事実であった。この自殺した方も仏教学の専攻なので、状況が更に厳しいのは分かっていたと思う。その程度の「市場調査」は、何の変哲もない就職を目指している学部生たちでもやっていることだ。

この手の話を見聞きすると感じることなのだが、必ず押さえておくべき事実というものから出発しないと、どうしてもこういう記事のような個々の事例を(それこそ人文・社会系の素養を欠いたまま)センチメンタリズムで語る羽目になる。そして、マスコミなんてしょせんはそういう事例を「消化」するのが仕事なのであるから、彼らの書いていることから出発しても、実効的かつ正しい結論や見通しなど殆ど出てこない。こうした研究者の生きていく生業を真剣に用意したいのであれば、朝日新聞社が新聞の仏教専門の論説委員として残された学生や OD を雇用すればよいが、そんなことは(よほど IR や経営者のパフォーマンスとしてやりたい事情があれば別だが)企業がやるわけないのである。

ともかく事実としてわきまえておくべきなのは、大学の教員になれない人というのは昔からたくさんいるということだ。それこそ院試に落ちた人など数えきれないし、博士課程を出た後で研究職を諦めた人も数多くいる。僕は或る事情で仕方なく中退(というか学費を土壇場で払えなくなって猶予の手続きもしなかったので、恐らく神戸大学では「除籍」扱いなのかもしれないが)してしまったが、そのまま大学に残っていれば就職難という同じような状況に陥った可能性が高い。出版業界では些末な出来事に応じて科学哲学の通俗本や解説書を出しているようだが、科学史や科学哲学は大学の学科としては全く増えたりしていないし(正式に "HPS" と言ってよいていどの業容の学科があるのは、北海道大学、東京大学、京都大学だけである)、各大学で「科学基礎論」や「科学哲学」あるいは「自然科学概論」などの科目で哲学科の卒業生を採用する大学は、学科としての哲学科の減少というトレンドにも連動して逆にどんどん減っている。そして、こういうことは僕が修士の頃ですらわかっていたことだから、25年前でも留意できた事実である。

記事で紹介されている方は博士の学位を得てから10年くらいで亡くなっている。そして、学位を得るまでのあいだも、大半は収入のない学生として大学に在籍しているため、奨学金はあっても研究資金を捻出できるほど十分な生活資金とは言えない。僕も教養課程から博士課程までのあいだに累積で1,000万円近くの奨学金を受けていたが、恐らく書籍の購入に使ったのはその数倍である。それでも、留学はしていないし、学会に参加して海外へ渡航することもなかったため、人文系の学生としては「非常に安上がり」だと思う。そういう留学もしていなければ海外渡航もしない学生でも、芥川賞候補にもなった社会学の K 君なんかは学費を稼ぐのに道路工事のアルバイトをしていたし、僕も第一パンの工場やヨドコウの工場などでアルバイトをしていた。親の収入と奨学金だけで学業に専念できるなどというのは、その後の就職についてはともかく、勉学の環境としては非常に贅沢だと思う。その甲斐もあって多くの業績を上げたというのは分かるが、学術研究者というものは、企業の研究所やシンクタンクの人々は言うまでもなく、世俗化された大学という教育機関にあっても、学問に専念しているというだけで特別扱いされるような特権階級ではない。教員になれるかどうかは、どういう業績を上げていても自明の話ではないし、その業績がそもそも自己増殖的な課題というパズルを解いただけの話なのかどうかは、やはり学術研究のステークホルダともいうべき世の中が決めるのである。

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