2018年09月30日 に初出の投稿

Last modified: 2018-09-30 11:28:13

週末は少し早く仕事を切り上げて、会社の近くにあるジュンク堂の大阪本店へ立ち寄った。あいかわらずコンピュータとウェブ関連の新刊書が置かれた棚には落合さんの著書が数多く並んでいる。僕は、彼は興味深い研究に取り組んでいると思うし、具体的に身体障害者をサポートするアイデアを実用化したり色々と実績は上げているので、都内のクソみたいな人間関係や利害関係に引っ張られて無駄なイベントやプロジェクトに駆り出されすぎて枯渇しないことを望むばかりだ。無能な連中ほど、こういう人材(もちろん18歳でプリンストンの教授をやっている「天才」でもなんでもない、ただの東大教員ではあるが)にぶら下がって安易な書物や安易なイベントや安易なベンチャーや安易な国政の何とか委員をやらせようとするものなので、仮に世俗的なタスクもこなせる才能があるとしても、そちらに傾斜すれば学者としては終わりである。

もちろん、これは擬制であり tentative なコミットメントだ。果たしてそれが社会思想として一定のスケールにおいて良好な結果をもたらすという意味で「正しい」かどうかは、アプリオリに断定できるものではない。しかし、バカから学ぶことなどないと割り切って世俗的な付き合いなど無視するくらいに研究にのめり込むというコミットメントを、昨今の研究者は科研費だの大学経営だの「生活」だのという言い訳で軽々しく否定してしまう。確かに、いまやそんなことができるのは、学界すら無視してプライベートな目的でプライベートな研究に没頭できる、家業を継ぐ責任もない稀な境遇の人々だけなのかもしれず、一定の世俗的な身の処し方は必要なのだろう。しかし、少なくとも国内の学術研究者は哲学のプロパーであろうと、あまりにも世俗的な価値観を無批判に受け入れすぎているように思える。食べていくために哲学研究以外の何かをしなくてはいけないというのも分かるが、それは別に下らない哲学イベントを主催したりクズみたいな本を書くことでなくてもいい筈であって、僕のように鉄工所で棒に穴を空けるのでもいいし、パン工場で食パンの包装や梱包をやってもいいわけであって、通俗的な哲学を市井へばら撒く他にやれることがないのかと思う。本当に、自分の知ってることを希釈してばら撒くことしか、君らは生きていくためにできることが他に無いのかね。それは、端的に言って人として無能だと思うぞ。

よって、現に成果を上げている人材に下らない社会批評や文明論みたいな本を書かせるという無駄や徒労を求めるのは、学術研究とは違って「すぐに具体的に出せる成果」ではあるかもしれないが、しょせんは学術としては社会を全く 1mm も押し進めたりはしない(という擬制が学者には必要だというのが僕の主旨だ)のであり、目先の出版とかイベントという成果ばかり求めていると、そのうち本人も手軽に小銭が手に入るので、他の学者と同じように5年もたてば単なる学術用語をあやつるエッセイスト、あるいは元ゲーム開発者などという伝手で AI と哲学といった愚かなテーマの本を書いたり、あれやこれやと「情報工学おじさん」の二番煎じみたいなことをやっている、都内の出版関係者だけが評価しているただの読書家みたいな連中と同じ醜悪な物書きになるだろう。

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