2018年07月21日 に初出の投稿

Last modified: 2018-07-21 11:09:53

少し残念なのは、哲学者である著者の幸福に対する考えがあまり垣間見えなかったことである。一応、序章で著者が考える幸福の条件が挙げられているが、構成も鑑みると、後半に出てくるアランやラッセルの現代的な幸福論につなげるためのリードに過ぎないように思える。

平たく言えば、「幸福史」

まぁ書名に先人の名前を羅列してりゃ中身はそうだろうなぁ。ヘーゲルやフッサールの翻訳で有名な方ではあるけれど、哲学者としての見識は未知の方なので(というか翻訳されたものも大して目にしていないが)、業界人風の気楽で無責任な言い方をすれば、長谷川さんが哲学史をどう「料理」しているかが読める本ということだろう。もちろん、レビュアーが指摘しているように、歴史をなぞって最新流行の学説にコミットしてマウンティングするだけなら学部生や高校生でもできる。さりとて、レビュアーがそういう人物なのかどうかは分からないが、えてして過去の学説に「語感のクオリア」だけに頼って固執しているかもしれないという反省なしに大昔の古典にこだわり続けるのも、実は容易いことだ。当人に古典語や古典世界の教養が欠けていれば、なおさらのことである。単に現代の日本語で翻訳されただけの言い回しの心地安さに引きずられているだけかもしれないという反省や批判なしに古典に拘るということなのだから。これは、学部生とか、専門の教育を受けていない(それこそ「超訳」とか通俗書ばかり読みふけっている)素人がよく陥るんだけど、そういうことの無駄や自己満足を指摘していく作業は、僕らアマチュアにとっても徒労の類だ。

そういう社会科学的な効用を求める類の仕事は、学生に対してなら教員の仕事だと言えるけれど、市井の人々については教員か、あるいは長谷川さんのような一定の評価を受けている方が大きな役割をになっており、率先してクズみたいな本を書いている連中と一緒になってはいけないのである。この本が、そういうクズの一つなのか、それともクズを履き出してしまうほどの内容をもつ、それこそ他のレビュアーが言うような「名著」なのか、僕はいちいち読んで評定するほど暇ではないが、少なくともここをご覧の方で余裕がある方には適切な評定をお願いしたい。そして、その評定をどこかで伝えてもらいたい。

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