2018年07月09日 に初出の投稿

Last modified: 2018-07-10 09:09:48

いつの時代、いつの人々にもあるような悩みに手軽な「ソリューション」を提供して人の批判精神や思考力を奪うのは、なにも宗教や自己啓発セミナーだけではない。

2018年07月09日に初出の投稿

どこかで書いたと思うのだけれど、恩師の一人だった森先生が神戸大から一緒に帰る途中で(確か農学部前のバス停で何度か同じ話を聞いた)、オウムの事件があってから哲学の本が売れるようになったと驚くように何度も仰っていた記憶がある。ただ、それが何なのかという感想を先生には突っ込んで聞かなかった。僕は、もちろん上記の Note で書いているように、オウムの代わりにクソみたいな哲学の通俗書が売れるだけなら、結局は同じことだと思うので、「哲学書が売れる」などという現象だけを取り出して寿ぐ気分には全くなれない。だいいち、オウムが出していた本の代わりにまともな本を読もうとする判断力が最初から備わっているくらいなら、凡人としては哲学書を読む効用の半分くらいは既に自ら達成していると言える。

もちろん、社会科学のセンスから言って、「良い哲学書を出版する会社」だけが生き残るような施策だとか消費者行動など成立しないのであるから、たいがいの出版社がクズみたいな本を出していようと、その中でまともな本をつくる出版社も生き残れるという仕方でしか事業継続は成立しない。そして、クズを出している出版社が何らかのバックラッシュで哲学書や通俗本をつくれなくなっても、まともな本を出す出版社まで一緒くたに衰退しないていどのリスクマネジメントを期待したいところだ(その点は、経営者としての才覚なのだから、何を出版していようと無能の会社が倒産するのは避けられない。そんなことは出版している本の内容や評価とは関係がない)。よって、確かに大勢として全く売れていないよりも売れているという状況の方がマシと言えばマシなのかもしれないが、果たしてどれくらい売れていればいいのか。これはよく分からない。

すると、20年以上も前に森先生が瞠目するほど哲学書が売れていたという事実があり、そしてそれが何か社会科学的なスケールで有意な効用をもたらしたと期待できるなら、あれから一世代くらい(二十数年)経過した今日において何の成果に繋がったのか。実験哲学を唱導する人々にとっては良い題材だとおもうが、果たして『ソフィーの世界』やら、ソクラテスの猿真似をしていた元モデルさんとか、あるいはいまでも自意識だけで哲学をやっていそうな俗物はハエと同じくらいテレビや書店で見かけるが、そういう無能がたくさんものを書くようになって、いったい日本はどうなったというのか。社会学者やアウトリーチ研究者などと協同で冷静に検証してもらいたいくらいだ。

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