2018年07月07日 に初出の投稿

Last modified: 2018-07-08 10:53:28

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『医療ケアを問いなおす─患者をトータルにみることの現象学』(榊原哲也/著、ちくま書房)

当サイトで thanatophobia を題材にした論説を書こうと思って資料を探していたときに、もちろんターミナルケアに関連して看護学のテキストを探した。その中にパトリシア・ベナーとジュディス・ルーベルの『現象学的人間論と看護』とか、ベナーが単独で書いた『ベナー看護論―初心者から達人へ』も候補として含めてあったので、本書のように彼女らの議論について手軽に解説が読めるのはありがたい。

ちなみに、ふだんは「ケアの哲学」だの「臨床哲学」だの、あるいは現象学の学生や講師が何とかカフェを開いて他人をモルモットにしているような真似を冷笑どころか非難するような調子であげつらっているが、とりわけ僕が現象学に反感を持っていると誤解されるのは困る。実際、分析哲学プロパーがやっている或る種の実験哲学の「分析哲学SHOW」も似たようなものだと思うので、これらも僕からすれば愚かな「実学指向」パフォーマンスか自意識プレイにすぎないからだ。自意識で哲学や学問や思想に関わるのは全くの愚行でしかないし、実際にそんなもので過去に業績を残せた者など一人もいないのである(もちろん学問や思想としての影響力や実績という意味でだ。自意識で思想を弄んだ結果、下らない革命や社会運動やテロで大きな影響を社会にもたらした俗物どもは幾らでもいる)。ああ、あとメイヤスーとか古臭い文法がどうとか言ってる連中は、彼ら自身が出版・マスコミ業界のモルモットなので、特に何か哲学的に由々しきことだとは思っていない。いまさら瑣末な研究者の些事をどうこう言ったところで、社会科学的なスケールでのリスクが小数点以下何桁のオーダーで見積もれるというのか。哲学科にしょーもない耽美系かパンクロックの化粧をした学生が増えたり、哲学科の学生がクソ田舎の行政訴訟を主導するようになっても、そんなことは世の中を 1 mm すら変える力も無いのだ。ということで、些事はどうでもよい。僕は当サイトで公開している論説でも、もちろんハイデガーを始めとする人々の死に対する向き合い方に学ぶつもりだ。

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