2018年06月15日 に初出の投稿

Last modified: 2018-06-15 12:49:43

プライバシーの定義という問題は、それこそ100年以上の歴史をもつわけだが、ここ数年のトレンドとして context を重視するというものがある。しかし、僕は分析哲学の本でフレーゲの「文脈主義」というのを学んだ頃から、この脈絡とか文脈と呼ばれているものに訴える議論には、いささか抵抗がある。その最も強い理由は、人工知能のフレーム問題と同じく、「一定の脈絡において」などと言ったところで何の説明にもなっていない場合が多く、そういうことを指摘している当人が脈絡を正確に説明できた試しがないからだ。そして、どういう説明が「脈絡を正確に説明できたことになる」のかも、フレーム問題と同じようにはっきりしないのである。要するに、コンテクストだの脈絡だのという話をされたところで、何か非常に場当たり的な説明にしか思えないのだ。

したがって、これは「条件」に置き換えた方がいい場合がある。例えば、もういまでは広告代理店ですら言わないことだが、いっときは「メールアドレスは個人情報だ」などと短絡的に言う人々がいたものだった。しかし、メールアドレスが国内法の「個人情報」に該当するのは、"takayuki.kawamoto@companyname.co.jp" のように、"companyname.co.jp" というドメインをもつ会社を特定できて、しかもその従業員である "takayuki.kawamoto" というアカウント部をもつ従業員が特定され、そして、その識別情報によって特定された個人に関する情報となっているからなのだ。つまり、「"takayuki.kawamoto@companyname.co.jp" が、"companyname.co.jp" という会社の "takayuki.kawamoto" という特定の人物のメールアドレスである」ということが個人情報に該当するのであって、RFC の要件を満たしているメールアドレスが全て個人情報なのではない。現に、"***@gmail.com" というメールアドレスの持ち主は、Google 社内であれば特定の「アカウント利用者」として特定できるかもしれないが、氏名まで正しく Google に登録されているとは限らず、実際には Google でも個人を特定できない可能性が高い。よって、"***@gmail.com" のアカウント部もホスト部も個人を特定できる識別情報としては扱えないので、これを特定の誰かのメールアドレスであるとは言えない(せいぜい、「"***@gmail.com" というメールアドレスを使っている誰かのメールアドレスである」という同語反復になってしまう)。このような場合なら、脈絡などというものに訴えなくても、或るメールアドレスが個人情報であるかどうかを判断する条件は明快に議論できる可能性がある。

ただ、困ったことに、こういう「ナウい理論」を知っているという人々の中に、まるで context という概念に訴える定義が従来の定義を全て駆逐するかのようなことを言う人がいて、ちょっと待ってくれと思う。いわく、「他人に暴かれない権利という定義は『ナンセンス』」だとか、「自己コントロール権を使った定義は『古い』」というわけだが、社会制度や人間関係にまつわる観念に依存する概念というものは、古いやりかたで対応した方がいいことと、そうでないことに分けて議論しなくてはいけない場合もある。確かに、context に訴える必要がない場合は、context-free の確率がゼロだと定義すればいいのかもしれないが、僕には昨今の文脈主義を奉じる人々の多くが、そういう包括的な概念で従来の個人情報やプライバシーの概念(の定義)を論評しているようには思えないのである。

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