2018年03月08日12時40分 に初出の投稿

Last modified: 2018-03-08 12:45:41

どこかで見かけたのだけれど、「死は現代社会においてタブーになっている」などと、僕には妄言としか思えないようなことを書いている人がいた。もちろん、自分自身について考える人が少ないのではないかと思えるという意味でなら分からなくもない(というか、外形的な事実だけでは証明も否定もできない)が、表面的に僕らが知りうる範囲で語るだけでも、現代ほど毎日のように人の死が報道されたり、世界中で続々と増える膨大な数の小説やゲームや演劇や映画やテレビ番組やマンガやアニメで人の死が描かれている時代もなかろうと思う。

僕が「分からなくもない」と書いたのは、なるほどそういう刹那的に描かれる他人の死や空想の死という圧倒的な物量によって、逆に自分たち自身の死について思い描くことを巧妙に避けているとも言い得るからだ。しかし、それを「タブー」などと言うのは馬鹿げている。誰も、あるいはどういう仕組みも、それを語ったところでペナルティを当人に課したりはしないからだ。たとえば、僕はこのサイトで自分自身の死について論説を公開しているが、特に誰かから「公開を止めよ」とか言われたことはないし、このコンテンツが公開されているという理由でサーバ会社からアカウントを停止させられたりもしないだろうし、大阪府の公安委員会から「他人に恐怖を与えた」などという理由で取り調べを受けたりもしないだろう。(ストア思想を奉じているサイトでは、死にまつわる記事を公開するにあたって冒頭に注意書きを加えているようだが、あれは死体の写真を使っているからだ。)

そもそもにおいて、「死はタブーになっている」などと呑気に書いて異化の効果があるとか、自分は何か重大なことに気づいているとでも思い込んでいる人物というものこそ、死について殆ど何も考えていないと言ってよい。「死はタブーになっている」。だから? では、あなたはそれをいけないと思うのか、それともタブーにしておく方が社会防衛として望ましいと思うのか。タブーではいけないというのなら、あなたはどう考えるのか。あるいは他に多くの人が発言するようになるには、どうすればいいと思うのか。そもそも、タブーとは、それについて多くの人が何か気づいたり気にしていても口にできないという、何らかの抑圧があるということを含意しているが、果たしてそんなものがあるのか。

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