2018年02月22日17時56分 に初出の投稿

Last modified: 2018-03-05 00:20:08

こんな晦渋な文字列を作るのは、亜言語者(*)の可能性が非常に高いのですが、「奇を衒(てら)うのが趣味で読者を煙に巻いては悦に入(い)っている」という仮説も成り立ちます。二つの仮説は、両立します。

能動態・中動態・受動態(続)

相変わらず辛辣な批評だが、小島さんのブログに集って口汚いブログ管理者に乗っかって好きなことを書いている人々も、相変わらずだなぁと思う。

それはそれとして、もちろん、たかだかスピノザの研究で知られるようになり、暇がどうしたとかいう「いかにも哲学者っぽい斜め切りの本」を出したり、小平とかいう田舎の高速道路がどうとか「教授」なる人物と一緒に社会運動をやって有名になってからは、殆ど学術的な成果は知られずに、こういうものばかり書いている人物が、哲学としてまともな業績を詰み上げられるわけもない。よって、確かに小島さんらの指摘は事実としては的を射ているとは思う。

だいたいにおいて、こう言っては気の毒だが、田中美知太郎さんをはじめとして、マスコミ・出版業界に名前を売った人々は、遅かれ早かれ学者としての使命も売り渡して通俗書や下らない講演会に時間を費やすこととなり、何の実質的な業績を残すことなく、書き散らしたものを岩波や筑摩あたりから著作集として残すだけの人生に終わる。そういう(かつてはどうだったか知らないが)無能が大学制度とマスコミ・出版業界の利害関係から逃れては著作を世に問えないという仕組みが続いている限り、日本の学術研究者というのは、知の巨人だ碩学だとドクター崩れの出版業界人に煽てられたり内輪褒めに埋もれようと、結局は何も後に残らない。

それは既に歴史が証明している。海外の研究者が学んでいると公言して変わり者扱いされないのは、せいぜい西田幾多郎あたりまでだろう。驚くべきことに、日本で哲学が受容された頃の最初の世代で終わってしまっているのだ。

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