2018年01月31日00時12分 に初出の投稿

Last modified: 2018-01-31 00:15:07

新刊で『プルーフ・オブ・ヘヴン』が出ていたので、買ってきた。もちろん僕は NDE は単なる幻覚や夢だと思っているから、この手の話は信用してなどいないが、thanatophobia に見舞われる人の一時的な気晴らしとしての治療的な効用はあるのかもしれない。もちろん、我々が歴史を通して育んできた最も壮大で面倒な気晴らしは、永続的なものを目指す宗教と刹那的なものを目指す娯楽である。

非常に通俗的な理解では、哲学というものは普遍的で絶対的な真理を探究するなどと軽口を叩くものだが、こんな概念の意味を本当に理解している者などいない。もともとが我々の願望や観念からの投射・外挿、あるいは規範や擬制として set-up された概念なのであり、何かありありとした「お手本」を見て描いたわけでも何でもないからだ。寧ろ、哲学的なスタンスというものは、その手の常識的な要求や自然的な態度への収斂を拒むことに本質があり、違和感を違和感として真面目に受け止めることが探究の動因になる。そして、そういう拘りそのものがヒトとしての様々な制約によるものではないかという不安を抱きながら(恐らくは答えに届かない)探究を続けなくてはならない。したがって、哲学は外形として似たようなテーマに取り組んでいるように見えるが宗教とはぜんぜん違う営みであり、常に宙ぶらりんの状態と言ってよく、それに耐え抜くことが求められる。哲学に悟りや帰依や啓示や救いなどない。そして、しょせんは何億年だろうと有限の時間が経過すれば消滅してしまうであろう生物なり物質の一員として、どうして何かを考えたり生きなくてはいけないのかという、宇宙論的なスケールを越えた「存在者」としての自覚をもって問い続けなくてはいけないのであり、はっきり言って大学で学生などに教えているような暇は無い筈なのだ。(もちろん、IT 企業で仕事なんかしてる暇もない筈なのだが、僕は世俗的な凡人なので節度はある。)

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