2018年01月24日10時02分 に初出の投稿

Last modified: 2018-01-24 16:00:11

このところ「因果関係」をキーワードとして扱う通俗書が続々と出版されている。ラビンズの『物事のなぜ』のように因果関係そのものをテーマにしている本もあれば、クリステンセンの新刊である『ジョブ理論』のように、ものの売れ行きを分析するためには相関関係よりも因果関係を重視せよと(いまごろ)説く本もある。そして、その多くは現代的な議論としてベイズ統計学の影響を陰に陽に受けているため、自然なことだが「必然性」のような観念を振り回すことはしない。これはこれで関連する因果関係の哲学に携わっている研究者には色々なチャンスが増えるので、差し当たっては良いことだと思う。しかし、これまた因果関係の哲学に従事しているがゆえに、こういう通俗的な議論で哲学としての脈絡をどのていど強調したり差し引いて書いたり話せるかが難しいとは思う。

たとえば、多くの通俗書では、因果関係の relation としての存在論的な身分が何であるかという話は全く関係がない。relation が実在するのかどうか、relation は更に基礎的な概念で分析しえないことかどうかなど、クリステンセンにとってはどうでもよいことだろう。そういう意味では、通俗書というのは基本的に何であれ道具主義的でありプラグマティックではあるし、もちろん「それでよい」わけだが、そこで止まっていては議論が展開しないのも事実だ。実際、実は因果関係について取り上げた通俗書は統計学ブームと共に少しずつ増えてきていると言ってよいのだが、哲学としては国内で全く業績が積み上げられていない(一ノ瀬さんの三部作は統計ブームよりも前の仕事だ。それゆえ評価に値するとも言えるわけだが)。

ということなので、哲学全般についての通俗書や哲学カフェについての意見と同じく、こういう通俗書が数多く出版されたところで、恐らく因果関係の哲学に従事する研究者が増えるとは思えない。もちろん、こういう本をきっかけとして更に勉強しようと志す人がいないとも限らないが、それは『論語』を読んで(読むだけなら、少なくとも日本国内ですら古来より累積で何百万人といただろう)何らかの思想として業績を残した人間がいったい何人いたのかという割合を考えたら、VSI の翻訳『因果性』が1万部売れたとしても、その中から因果関係の哲学についてまともな業績を残すと期待できる人間は 0.01 人くらいと見込んでよいだろう。もちろん、0.01 人の人間など、この宇宙に存在しない。

しかし、もちろんこういう出版が無駄だとか無意味だと言いたいわけではない。これらの出版物が色々な影響を与える可能性はもちろんあるからだ。僕が上記で言っているのは、こういう本をきっかけにして因果関係の哲学を研究しようと志す者など殆ど出てこないということであって、最初から因果関係について関心をもっている人が更に啓発される可能性はもっと高いだろう。要するに、たいていの学部レベルの授業でも言われると思うが、自分自身の内発的な事情や理由や信念や思考によって因果関係に関心をもつような人間でなければ、こういう著作に啓発されて業績を残すことはできないのであり、何か本を読んで重大な業績を残すまでに至るといったストーリーは、たいていは脚色された自叙伝などの素人心理学や素人精神分析にもとづく作り話でしかないのである。

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