Scribble at 2018-01-23 07:17:46 Last modified: 2018-01-31 10:24:51

約2時間に及ぶ会見の終わり際、責任の取り方として所長を辞める場合もあるかどうか問われると『もちろん全ての可能性は考えている』と前を見据えた。

「不正防げず後悔、反省」山中所長、表情険しく 辞任可能性も

記者にしてみればイベントが発生したら嬉しいだけのことであって、それで医学が停滞しようと彼らにしてみれば知ったことではないんだよね。

政治家や経営者についても言えることだけど、その人物の決定や決裁(あるいはその不在による不作為とか無責任)によって重大な事故や事件が起きた場合に、その人物の進退を問うのは分かる。その人物が決めたために起きたとか、あるいはそういう職位が効果的ではなかったために起きたと言えるなら、改めるべきだろう。しかし、個人としての資質に問題があるのか、それとも当該の職責の範囲では無効なのかを区別しないと、首を挿げ替えただけでは何も解決しない。今回の例だと山中さんを辞めさせたところで、iPS 研究所の所長が膨大な研究ノートを毎週のように読んで確認しなければいけないなら、そんな制度を全ての大学や研究所で採用すると、科学の研究はたちどころに停滞してしまうだろう。

つまり、山中さんが不正行為を指示したり、不正が起きてもよいと高を括るような仕組みを故意に放置していたわけでもないのだし、今回の対策はどう考えても研究データを全員で分担してチェックする仕組みを導入することに尽きるのであって、所長の首を挿げ替えることではなかろう。例えば、助教がデータを提出したら他の助教や博士課程の学生クラスが確認し、そこで怪しいとされたデータを次に教授が確認して、最終判断だけを山中さんが行えばよい。彼が辞めても仕組みが変わらず、例によって田舎者の風習で「気合を入れる」だの「意識をもつ」だのというクソ精神論ばかりが繰り返されても無意味である。

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