2018年01月22日15時48分 に初出の投稿

Last modified: 2018-01-22 15:52:10

かなり前から気付いていたのだけれど、ラッセルの "Mysticism and Logic and Other Essays" は1918年の出版なので、今年でちょうど100年が経つ。これに収められている(因果関係の研究をしている人には有名な)論文は、もちろん既に翻訳はあるのだけれど、みすず書房から著作集として出ているので単体の本として手に入れるのが難しいし、江森巳之助さんの訳文は50年前のものなので、いちど見直してもよい時期なのだろう。

それにしても、ようやく移転後の三浦さんのサイト(ラッセルのサイトも兼ねている)を見つけたのだが、ビジュアルデザインはともかく(そう、表面的なデザインはどうでもいい)として、情報設計とユーザビリティの観点からはかなり乱雑な印象を受ける。そして、三浦さんの新刊が今年の初めに出るようだが、ご本人は作家でもあるから仕方ないんだけど、サブカルをネタに哲学の本を書くというのは、そもそもプロパーがやる仕事だとは思えないな。もちろん「賤しい」という意味ではなく、そういうアウトリーチや応用といった仕事は、批評家とかライターとか専門のレイヤーを育てないと、それらをプロパーがこなすのは適材適所とは言えないと思う(かといって、僕らのようなアマチュアに任せるのは論外だ)。個人として楽しむなら、それは自分のサイトで文章を公表すればよく、出版するまでの時間や労力をさらにかけるというのは才能の浪費だと言いたい。

もちろん、いやしくも扱っているのが哲学として取り組むべき課題であるなら、ハルヒだろうと焼き肉店の経営手法だろうと同じように議論できるには違いない。しかし、それは哲学として考える力があり、一定の訓練を受けているからこそであって、多くの人々は具体的な話題に置き換えられた議論を、その中でしか議論できないものである。だいたい、読者がそこから哲学としての議論に自力で抽象する力のある人間であるなら、その手の通俗書や啓蒙書など最初から不要であって、哲学の議論をそのまま持ち出せばよいだけである。逆に、もしアニメについて「哲学っぽいことを論じたい」というだけの自意識みたいな連中が読者なのであれば、そんなものを書いている時点で哲学者として二流だと言わざるを得ない。

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