2018年01月09日11時32分 に初出の投稿

Last modified: 2018-01-09 11:49:58

学部学生必読文献

聞くところによると、この馬鹿げた記事を書いたのは立命館大学とかいう辺境の大学で哲学をやっている小泉義之とかいう方らしい。

>> 本当は中高生の必読文献と言いたいところだが、妥協して。

〈ちくま学芸文庫〉を全部

〈平凡社ライブラリー〉を全部

〈講談社学術文庫〉を全部

〈東大出版会UP BIOLOGY〉を全部

〈岩波基礎物理シリーズ〉を全部 <<

ということで、これらを中学・高校時代に読破したか挑戦されたのであろう。それはそれで愉快なことではあるが、僕は、個人の趣味としてはともかく、こんなことを他人に要求するのは非常に詰まらないし実効性もないと思う。そんな乱読で世の中が 1mm でも良くなったり、実際にあなたが国際的なレベルで哲学の業績を何か挙げたんですかと聞きたい。もういい加減に、「哲学」という言葉に「物知り」とか「碩学」といった、非常に通俗的な自己イメージを投射するのはやめてもらいたいものだ。そして、申し訳ないが「『歩く辞書』を目指すていどのこと」なら、もうすぐ分散しようとしまいとコンピュータ・ネットワークが達成すると思う。

ともかく、こうした牧歌的な「ブラック教養」とも言うべき馬鹿げた基準を他人に押し付ける教員がいなくならないのは、彼らが自分の生い立ちを全く相対化できていないという事情にある。ポストモダニズムを待つまでもなく、哲学者や思想家も、子供の頃にいじめられたとか、親が金持ちだったとか、そういったことを相対化して、たまたま家が貧乏だったからマルクスを研究しているわけではないと言い切る(あるいはそれでいいと正当化する)ことは難しい。経済的・時間的な制約とか、そもそも実行するためには色々な格差や差別(借りるにしても近隣の図書館に置いているとは限らないし、家の手伝いが優先で帰宅してから読書の時間などとれない子供も多いし、そもそも視覚障碍者が利用できる岩波文庫の電子データなど殆どあるまい。岩波書店にとっての「庶民」や「プロレタリアート」とは、東大を出て上場企業で労働組合ごっこをやってる連中のことだからだ)を乗り越えなくてはならないということを無視して平板な「必須条件」を押し付ける人たちって、本当にのどかな学生生活を送ってきたんだなと思う。

もちろん、東大は金持ちしか入れないとしてもかまわないだろうし、哲学は講談社学術文庫を高校生に全冊買ってあげられる家庭でなければできないとか(小泉さんは本を借りてもいいと書いているが、その代わりに「コピーして読む」と書いている。どれだけ安いサービスを使っても、全ページをコピーすると、たいていの文庫本は買うよりも高いコストがかかる)、留学費用を出せない家庭の子供は分析哲学はできないと国家的な基準を設けてもいいだろう。ただし、昔の貴族や大名と同じで、業績を上げられない者は、言葉の意味そのままで殺すというペナルティが待っている。恐らく、日本の大学教員の 99.99% や官公庁の役人の 99.999% は、来年の今頃は皇居の前でギロチンにかけられるだろう。

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