2017年12月26日22時08分 に初出の投稿

Last modified: 2017-12-26 22:08:13

僕は昔から哲学や思想の通俗書だとか、昔からよくある素人に哲学の手ほどきをするイベントだとか、そういうものは好き勝手にやればいいと思っている。なぜなら、そんなことをどれほどの人数が何千年と繰り返しても、社会科学的な誤差にもならないような影響しか世の中に与えられないと思うからだ。それに、とりわけ哲学というものは、或る意味では学問というよりも純粋な「問い」のきわめてプライベートな探究であり、世のため人のためにやるものではない。

しかし、哲学と呼ばれる何かについて啓蒙すること自体が無益だと言いたいわけではない。なんにせよ全く無の状態から問いを十分に有効な仕方で問うことは難しく、先人の知見に負うことは多々あるので、参考にしうるものを可能な限り脈絡に依存しないように蓄積しておくことは有益であるとも考えられる。そういう蓄積された成果は、なにも「哲学的」とわざわざ形容するまでもなく、色々な脈絡を考慮したり別のものの見方を導入するためのきっかけというくらいでいいんじゃないかと思う。それゆえ、色々な経緯で哲学にかかわるようになる人々を出版業界や教育制度のサイクルへ「読者層」として取り込んだり、大学教員として回収するという出口戦略そのものにコミットしてもいいわけだが、自分がそういう人為的なサイクルに関与していることへ無自覚なままだと、そういうプロパーはナイーブすぎて有害だとも言いうる。僕が、例の哲学カウンセリングとか、子供に哲学を教えようと意気込んでいる人々に懐疑的なのも、その手の無邪気さが気になるからだ。

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