Scribble at 2017-12-19 13:17:26 Last modified: unmodified
哲学でも、やれクリティカルシンキングだアクティブラーニングだ子供向けの哲学だケアだと流行を追いかけてる人はいるわけだけど、こういう「他人と向き合う活動」について僕がずっと違和感をぬぐえないのは、彼らが哲学研究者としてどれほどの実績があっても、教員やイベント主催者としてはアマチュアだということだ。その自覚のない人達が、何か凄く凡庸な善意だけでそういうことをやっているのだとすると、これはどうなのかなと思ってしまう。同じく、出版にしてもカンファレンスにしても学会運営しても、それら実務に「哲学的な考え方」を当てはめてはいけない決まりなどなかろう。しかるに、哲学に限らず殆どの大学教員は教職の素養など全くない(教員免許をもっている哲学教員がどれほどいるだろうか)のだし、自分たちが素人であるという自覚があればこそ、安易に流行のアプローチを実地へ応用するのは控えるべきではないか。教育と葬式だけは誰でも意見が言えるとはよく言ったものだが、それこそダニング=クルーガー効果の好例というものだろう。
もちろん、教育については誰でも認めるような方法論というものがなかなかないので、新しい手法へコミットすること自体を否定しているわけではない。成果が無い限りは新しい手法を認めないというのでは、成果がゼロの方法論が採用される見込みはずっとないからだ。