Scribble at 2024-04-14 22:39:37 Last modified: 2024-04-15 16:44:47

科学哲学の研究実務(アマチュアのプロセスでもいい)にコンピューティング環境を導入して、或る種の自動化なりシミュレーションの結果を利用しようという「先進的なアプローチ」についてプレプリント・サーバに何か論説が掲載されてるとかいう話を聞いたんだけど・・・それ、サガートの本とか読んだ上で言ってることなのかな。もちろん、現地のアメリカですら今頃になってナウいタームだけを振り回して GPT-3 の哲学とか Nous で宣言したはいいが、全くカスほどの業績すら上げられなかったわけで、研究プロセスの是非とか提案するのはいいけど、結局のところ学者の本懐は、まさしく「事象そのものへ」challenge した業績だからねぇ。

まぁ、都内のイベント屋とか出版業界の内輪褒めで何を言ってようと勝手だけど。哲学者としてのわれわれには何の関係もない話だし、そもそも些事だよね。僕の古臭い印象だと、基礎論学会って自然科学のプロパーを少しは巻き込んだ「科学方法論」をやってる人が多いと思ってたんだけど、もう最近は「科学哲学方法論」をお喋りする仲良しクラブにまで後退(たぶん自分たちでは穏健、堅実なスタンスだと思ってるんだろう)したのかね。そんなもん、本来は将来に業績を出すべき学生が寮とかでお喋りするようなメタ議論ではないの?

これはいま少しずつ制作している原稿にも書いてることだけど、科学哲学が科学と哲学のキメラみたいに誤解されたり、学部レベルの数学も勉強しないで科学について物申すための便利なマウンティング・ツールみたいに誤解されてるのって、早い話が「科学について考えるのが科学哲学だ」という致命的な誤解をしたままプロパーになってる人が多すぎるからじゃないかと思うんだよね。それ、絶対におかしいって。それ哲学じゃないし。そんなもんはどこまで行っても知識社会学だよ。したがって、同じ理由から言っても、科学哲学を「物理学の哲学」とか「生物学の哲学」とか分類してる時点で駄目なんだよな。つまり特定の研究対象とか学科によって独特の論点とか概念があるなんてのは、僕に言わせれば科学哲学の自己否定みたいな話であって、それ哲学じゃないですよね、物理学基礎論ですよねってことでしかないんだよ。そういう意味では、まだそういう学科によって違うことを喋ってるようなオタクどもを無視して科学(現行の自然科学だけでなく、「科学」なり知識なり)を相手にしてるフェミニズムのアプローチの方がマシなんじゃないかと思う。

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