Scribble at 2017-10-10 16:45:52 Last modified: unmodified

教科書を書くというのは、特に哲学の場合は、自分が納得してもいない学説を延々と他人に紹介するという罪深いことをやるわけであって、その自覚がない情報ブローカーみたいなのが通俗本を書いても、そら誰にも刺さらないわな。なので、やっぱり自分たちがやろうと思ってることを当人たちが書くという入門書(具体的には、「ワードマップ」シリーズ)の方が、たとえ同意できるものではなくても読むに値するし、初心者にも勧められる。書き方自体は分かりやすくて面白かったのだろうけど、大昔に小坂修平さんとかが書いてた通俗本やソフィーや超訳の類が全く何のインパクトもないのは、結局はそれが決定的な理由だと思う。ああいうので騒いでる人って、単に騒ぐだけなんだよね。そういう本を読んだという自意識だけ。

例えば『ソフィーの世界』を題材にして博論を書いた人が世界に一人でもいるのか。もし、通俗本ゆえ論じるに値しないなら、なんで一般人にはそういう「程度の低い議論」でいいのか。あの中に世界はどうやって「ある」ようになったのかという話題も出てくるけど、程度の低い問題ではないよ。

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