Scribble at 2017-10-04 10:12:20 Last modified: unmodified

哲学と科学の対立など一蹴せよ  自然主義という実り豊かな漁場へ

いまどき自然主義について書いたところで「堂々と」とか「臆面もない」などと驚く哲学者はいまい。それほど、哲学するにあたって自然科学の成果を利用したり、自然科学の知見に矛盾しないような議論をすることは、何も分析哲学や実験哲学や科学哲学を専攻していなくても、多くのプロパーに共有されるスタンスとなっている。

しかし、僕はメタレベルから大学や学界で営まれている、敢えて言うが「小文字の哲学」とも言うべき趨勢について眺めているので(だからといって自分が「大文字の哲学」の立場にいる本物の哲学者だなどと言うつもりはない)、やはりこう問わずにいられないのである。よく自然主義を標榜する文献には、科学と哲学の連続性とか、あるいは科学と哲学を含めた包括的な知のありかたといった、クワインらを源流とするスキームが出てくる。しかし、結局のところその「連続性」とか「包括性」とは何のことなのだろうか。自然科学者が寺田寅彦のように漢詩を書けばいいのか、それとも哲学者が百マス計算にでも取り組めばよいのか。

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