Scribble at 2017-09-27 09:27:04 Last modified: unmodified

さきほどの日野原さんに関する NHK の取材は興味深かった。いかに終末期医療について考え、従事している人でも、いざ当事者となって thanatophobia に対処しようとすると、最後は観念操作に埋没する自己暗示しかないのだろうか。実は、ここ数週間ほど thanatophobia について色々と考えたことを書き貯めている。もちろん僕も日野原さんと同様に(いや、そこにどういう共通点があるのか、実は分からないのだが)死ぬのは怖い。しかし、それがどういうことなのかを考え抜くことも僕がやるべき営みの一つだと思っている。

これは哲学とか、そういう枠組みを仮定してやるようなことではないし、僕の論考では一人称の視点を強く維持しているのだが、それを「これでは独我論<になってしまう>」とか「これでは<まるで現象学みたいだ>」などという、学派や思想の位置取りを調整するような動機で自己欺瞞に導くようなことは厳に慎んでいる。いわゆるハードな科学哲学をやっている人間が現象学的アプローチを採用するからどうだというのか。独我論だからといって、何がいけないのか。回り道にはなるが、そこを自分自身で納得できない限りは進めない。そもそも、僕らアマチュアにはもとから現象学とか分析哲学などという、哲学的には些末としか言いようがないラベルや方法論など大して意味はないし、歴史を学んでいる人間であれば、現象学的アプローチと分析哲学や科学哲学が実際には何も対立していない、それどころか歴史的には殆ど同じ思想的なバックボーン(たとえば反心理主義)から出発したものだということが、いまでは周知になりつつある。

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