2017年09月09日16時24分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-09-09 16:24:08

学部時代の出版事情からすれば仕方ないんだけど、フレーゲの著作は一冊しか読んでないのに(岩波から出てる論文集)、フッサールの著作は『危機』とか『現象学の理念』とか『厳密な学としての哲学』とか、数えてみたら5冊くらい読んでた。しかも学部時代の先生は中澤義和というメルロ=ポンティの研究者だ。これで科学哲学専攻というのも変な話だが、大学へ入った当初から自分が何をやるか決めてると、先生が中世哲学の研究者だろうとマルクスの研究者だろうと、哲学の話をすればいいとわかってるんだよね。逆に言えば、その次元の会話ができない先生というのは、「現象学」とか「分析哲学」の勉強しているにすぎず、自分の何か、どう言えばいいかわからないけど、内発的な動機や理由で哲学をやってるわけじゃないから、つまるところ哲学やる必然性がないかもしれない人なんだよね。事情が変われば量子物理やってたかもしれないし、上場企業の労働組合にいたかもしれない。

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