2017年08月23日10時48分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-08-23 10:52:06

翻訳のパラダイム -- 「学術的」な翻訳の奇妙な現実

プロパーであれば既にご承知のとおり、日本の科学哲学の学界においては「定番の誤訳本」と呼ばれる翻訳書が幾つかある。まず中山茂さんが訳した『科学革命の構造』(クーン)、常石敬一さんが訳した『コペルニクス革命』(クーン)、藤川吉美さんが訳した『科学的認識の構造』(パトナム)などが有名だが、常石さんと藤川さんについては他にも何冊か科学哲学・科学史に関連する著作の翻訳があるので、翻訳書の単位で評価するよりも翻訳した本人の資質として評価され、哲学科の懇親会や購読ゼミの最中に言及されることも多々ある。

もちろん、この記事が評しているように、それら既存の誤訳を打ち消すような翻訳ないし正誤表を個人あるいは学界の有志として提案できていなければ(もちろん既存の翻訳書があるのに無断で別の翻訳書は出版できないから、学界発表の資料扱いで配布すれば問題はなかろう)、学術的にはただの不平不満、つまりは個人的な感想にすぎない。それらの個人的感想がつまらない集団心理として寄せ集まって「パラダイム」になっていてもよいが、そのような業界の常識なるものが何千年と受け継がれようと、結局は人類の知識としてパワーをもったり何かの利得になるものではなかろう。どこに問題があり、それはどういう問題なのかを、知りうる限り正確かつ包括的に指摘しない限り、学術的には単なる「僕はこの感じが好き」という、誰も反論しえないクオリア論証でしかない。だからこそ、内井さんがご自身のサイトで中山茂さんの訳文を具体的に検討し公表されているのは、包括的ではないとしても、まず学術活動として正しいことだと思う。

さて、その内井さんの批判を読んだという上記の記事は2002年の9月に公開されているのだが、内井さんの批判に応えた中山さんのブログ記事(現在は消失)や、黒木玄さんの論評(これは中山訳を批判している)は全く読まずに書かれているようだ。したがって、内井さんのページを見た限りで書かれた寸評の類であるが、翻訳としては検討に値すると思う。

例えば最初に紹介されている、"In the first place, the proponents of competing paradigms will often disagree about their list of problems that any candidates for paradigm must resolve. Their standards or their definitions of science are not the same." という文については、少なくとも僕は山岡さんと同じく内井さんの訳文の方がおかしいと思う。なぜなら、内井さんの訳文は "that any candidates for paradigm must resolve" を "problems" の形容詞節ではなく、"paradigms" または "proponents" の形容詞節であるかのように訳しているからだ。これは、はっきり言って内井さんの訳文こそ誤訳だと思う。

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