2017年05月25日14時36分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-05-25 14:36:08

後輩も関わってることなので慎重に評価したいとは思うのだけれど、レポートや卒論をどう書いたらいいかを教えたり、そもそも書くためのインセンティブを設定しないで、盗用を防ぐにはどうするかとか、盗用しにくいテーマを設定するにはどうするかを考えるだけでは、しょせん対処療法ではないかと思うんだよね。

そもそもの問題は、この世には必要もないのに或る特定の学問に関わったり、それを勉強したりしなければ他の資格とか要件を満たせないという仕組みがあって、大学では、別に哲学に何の興味も持ってなくても哲学科に入って来る学生はいるわけだよ。大卒という資格が欲しいという事情で。これを、今どきの学生はどうの、こういう学生を求めるような企業の採用方法はどうのと非難するのは簡単だし勝手なんだけど、そこには恐らくマスコミや出版社や教育行政(もちろん高校までの教員も含まれる)も含めた人々が、哲学というものを相互に了解したり、或は多くの人々に伝えることに失敗しているという大きな原因があって、そこを無視して対処療法をあれこれ検討して本なんか出しても意味がないと思う。哲学をやってる人間の成果については、「哲学的には意味がない」とすら言っていい。

ウィキペディアからコピペしてレポートを提出するような学生には、もちろん簡単な対処療法があるだろう。他人にレポートを書いてもらうような人間にも、後で口頭試問するなり色々な対策があるに違いない。しかし、そもそも学生がそんなことをしてしまう理由の多くは、彼らが就活に忙殺されているとか、あるいは彼ら自身が哲学について関心をもっていないというだけではなく、そもそもそんなことをしてでも大卒の資格さえあればいいとか、もっと言えばイカサマでも何かを得たらそれでいいという発想にこそある。

僕は、いっときはこういうことを大学の研究者は考えなくてもいいと思っていた。つまり、やる気のない学生が勉強もしないで社会に出ても、損をするのは彼ら自身なので、社会防衛の観点からいって大学や研究者や学問に特段の悪影響がない限りは、バカはバカのまま放っておくのが低コストな社会システムであると、いわば臆面もなく言ってきた。しかしいまや、彼らを放置していたことによって、人文・社会科学だけでなく自然科学も、「バカしか輩出してこなかった」と(笑)、世俗的な欲求だけで要不要を判定されて大学の学科から追い出されようとし始めている。このまま放っておくと、大学の情報科学部ではラムダ関数を教える代わりに JavaScript のライブラリの使い方を教えるようになるかもしれないし(それを正規の授業で教えている単科大学など既にあるかもしれない)、ゲーデルやサミュエルソンの著作を一行も読んだことのない学生が(こう書いては気の毒だが)森田真生や高橋洋一を題材に博士論文を書くようになるかもしれない。したがって、そろそろ大学の教員は学生の評価や評判を恐れて彼らを甘やかしていては自分の首をしめるだけである。たまたま日本は、単位を落とされただけで教員を殺害するような学生は少ないので、是正するなら(既に手遅れだという見方もできるが)いまのうちではないか。

それに、いっときバカなことをして単位を落としたり就職に失敗しても、自分のせいで自分が損をしたということであれば、やり直すチャンスがあった方がいい。僕は企業の経営については他人を巻き込んでいるので、気軽に起業できるような仕組みは良くないと思っているが、教育についてはもっと緩やかな方がいいと思う。

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