2017年05月17日13時21分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-05-17 13:23:30

Philosophy Guides

なるほど。ブログでまとめ記事を書いて、通俗書の出版からカルチャーセンターに繋がるわけか。食べるためには有効な一つのコースかもしれないけど、地方のように外部からの批判が乏しい環境では、恐らくイカサマ IT コンサルみたいなものが増えてきて逆にカルトと同列扱いされるかもしれないので、大都市でしか通用しないとは思うが、とりあえず今後もフォローしておこう。僕は通俗的な啓蒙は毒にも薬にもならないという評価を下しているので、彼のやっていることを評価はしないが蔑むつもりもない。これは正確な意味で彼の「生活」なのだ。

ただ、アカデミズムとは独立に活動するとリスクが多々あるのは確かだ。例えば、上記のページの末尾に、「書籍(単著)に関しては、表紙に女性、あるいは、マンガ風イラスト(あるいはその組み合わせ)を用いないことを、あらかじめお約束していただける場合に限り、引き受けさせていただいております」と注意書きがある。実際、彼の著書は僕も書店で見かけて「ああ、やっぱりこの手の売り方に身をゆだねる通俗物書きだったか」と鼻で笑ったこともあるが、この注意書きを見つけて、ああしたラノベ風の表紙で本を作ったことは彼の本意ではなく、恐らくは編集者に委ねてしまう不完備な契約をしてしまったのだろう。正直、どれほど大手の出版社であろうと、そこで働いている人々の多くは、よくてもドクター崩れで、悪ければただの学卒だ。しかも、編集やデザインの資質すら僕のようなプロの足元にも及ばない無能である。僕のように出版社にいた経験があったり、電通・博報堂を始めとする広告業界に近いウェブ制作会社にいる経験があったり、あるいは父親が印刷会社にいたので業界知識にかかわる本を幼稚園の頃から眺めていたという特殊な事情でもない限り、パブリシティについては先輩である大学教員のアドバイスが必要だろう。

それから、Facebook で告知されているのを見たのだが、彼は都内のカルチャースクールで講師も始めたようだ。これは、平原さんが師事したのが、似たようなスタンスの竹田さんだからよかったものの、恐らくアカデミズムとは別の路線で食べていかないといけなくなる。ふつう学位もない学生が講師をするのは哲学科では異例のことで、何らかの圧倒的な業績や才能があればともかく、古典をまとめるのがうまいといった劣化浅田彰みたいな成果だけで他人に哲学を講じるのは、それこそイカサマ IT コンサルと同じで、自分が一次文献や二次文献に他人よりも早く多くアクセスできているというだけの偶然的な条件を才能と混同しているだけのことである。

かといって、彼の「教えている」内容が適正かどうかを、わざわざ吟味するためにプロパーがカルチャーセンターに出向くなんてことはやるべきではない。僕もアマチュアの一人だし、アカデミズムを制度として閉じよとは言わないけど、逆に制度として開くどころかプロパーがアマチュアの勝手な言動をチェックしたりアマチュアの問答に応じる責任まで押し付けるような「通俗民主化」には抵抗すべきである。世の中には、単純に効率という点からだけでも権威や差別が必要であり、金銭や時間の都合も関係なしにプロパーが素人やアマチュアに応じるのは、全く社会的浪費である。本来、暇なアマチュアが無能なアマチュアやプロパーを引きずり下ろす嫌われ役を買うのが正しく、僕はそれをやるつもりでもある(『医学と仮説』の論評を公開しているのは、その一環だ)。ただし、僕は無能に付き合うほど暇でもなければ、僕の(少なくとも博士課程まで進んだ者としての)直観においてクズだと見做した本を購入して論評するほどの余分なお金もないし、自分自身の勉強なり研鑽を犠牲にしていいと思えるほど自分に才能がない(つまりバカをバカだと叩き潰す役目に打ち込む方が学問に貢献できるくらいの人間)とは全く思っていないので、もちろんアマチュアだからといってバカの相手はしない。

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