2017年03月12日13時45分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-03-12 13:45:29

我々の言ったり考えていることを含めて一切が自然現象だという観点を貫徹させるのが、僕には妥当な理論だと思える。ただし、それをただの物理主義などという平板なスローガンで理解しているようでは、学部レベルの科学哲学だといわざるをえない。そのとき、観点という概念や貫徹させるという特性にも同じ何か(古典的には「論理」と呼ばれてきた)が適用される。論理学の形式的体系は手段であり、本来はこの探求が課題のはずだ。したがって、近代以降の数理論理学が伝統的な論理学やドイツ観念論の「論理」と断絶しているかのような理解をしている人は、はっきり言って logic という学問が何をやっているか、何をやるべきなのかが全くわかっていないと言える。得てして、そういう人物に限って記号操作のエレガントな格好良さという自意識でロジックや哲学に関わってしまうものであり、そういう意味での無能さを判定するには、やはり表面的に論文などを読んでいるだけでは分からない。もちろん、表面的な記号操作だけであれば有能な人材は数多くいるし、実際に彼らの成果は有益である。しかし、そうした人物が記号操作のテクニックを超える見識をもっているという保証は何もないし、そういうものを持っているかのように「誰それの数理哲学」などという解釈学を展開しようとするのは、やはり思想の研究として危険だろう。

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