2017年03月05日21時26分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-03-05 21:26:11

どなたかが、言語、思考、行動のトリレンマに陥るとトランプみたいになると書いていましたが、恐らくはそれぞれの表出なりフィードバックの経路や反応が違うだけで、根っこの感情的なところは一貫しているのだと思いますね。だから表出の方は幾らでも辻褄合わせができるのですよ。お上品な啓蒙とか、日本でも無能が暇潰しにやってる「なんとかカフェ」が何の力も持たないワナビーの与太にすぎないのは、言語表現が人の根っこを揺さぶるまでにどういうインパクトが必要なのかということを分かってない人たちがやってるからなんでしょう。

それゆえ、僕は哲学の概説書にアニメや小説やマンガやイラストレーションを使っても全く問題はないと思うのだけれど、世の多くの通俗本の著者たちは、これらの表現手法を思想的なインパクトがまるでない「わかりやすさ」という目的のためだけに使おうとする。だから何万冊売っても何の結果も出ないわけです。本気でやるなら、マンガとして描かれた哲学の概説書や古典の解説だけを読んで博士課程に進学できるくらいの素養(才能は、もちろん他人の書いた読み物でどうこうできるわけではありません)が身に付くくらいのクォリティを要求したい。原理的にそれがマンガにできないとは思わないけれど、現今のプロパーていどにそこまでマンガを有効に使いこなせるとは到底思えません。そして、職業漫画家自身についてはテクニックはあると思いますが、たまたま哲学をやるべき理由をもっていなければ「受託作業」にしかならないので、こんどは内容の水準が低くなるでしょう。良い組み合わせを期待したいところですが、いまのところそういう事例はなさそうです。

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