2017年02月16日09時29分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-02-16 09:29:24

世界中と情報交換できるとかなんとか言って、凡庸な研究者もネットを使い始めてから20年くらいは経ったわけだけど、あいかわらず哲学でも欧米とは10年くらいの誤差を感じるんだよね。昨年あたりから、適当な知的レベルの IT ベンチャーの経営者はもとより、哲学でもリスクとか doomsday argument とか super intelligence とかを持て囃している人たちが増えてきたわけだけど、いまどきそれらのテーマを哲学の最新動向みたいに言わないでもらいたい。ニック・ボシュトロムの短い論文は随分と前にひっそりと翻訳されているし、彼がオンラインで公開している論文は本人との交渉次第で翻訳できることは前から知られている。やろうと思えば 10 年前でも「リスクの哲学」はできたし、三浦さんの胡散臭い著作しか無い doomsday argument の議論を国内でも更に展開できた筈だ。いっときだけ日本でも流行ったように見える、確率論の哲学や統計学の哲学に少しでもコミットしたことがあるプロパーなら、バカでも無い限りは doomsday argument やベイズ主義の議論を理解することなど容易いわけであって、1年ていどの時間をかけたら論文の1本くらいは書けたと思う。少なくとも、僕がプロパーならできる。

このような状況が意味しているのは、つまるところ留学なんてしても、帰国した人々については、現地のプロパー集団からは無視されるていどの実績しか留学中に残していないということではないのか(現地でそのまま登用される人たちは、もちろん業績を残しているから教員に採用されているわけで、実績を残したかどうかについて議論の余地はなかろう)。もしそうであれば、大阪維新の会を支持するような手合なら「留学補助金の打ち切り」とでも言えばバカから拍手喝采を浴びるのだろうけれど、寧ろ、更に若手の研究者をサポートする必要があると感じる。単に留学できるという境遇でしかない無能ばかりを送り出しているだけではだめなのだ。哲学における「有能さ」というのは殆ど定義不能なので、単純な話が中国のように大量の留学生を送り出して(もちろん全員が帰国する必要なんてない)結果で判断するしかない。そのために、やはりお金が必要である。暇と退屈がどうとか言ってるうちは、しょせん海外の成果に対するフリーライダーだ。

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