Scribble at 2017-02-12 12:19:51 Last modified: unmodified

真面目にメタレベルの議論をしてきた人間なら誰でも分かっているように、哲学の通俗書は「知的加法単位元」なので、どれほど出版され読まれようとも、そんなことで世界は何も変わらないし哲学の理解に悪影響が出るわけでもないので、好きなように好きなことをすればいい。だから批判しないのです。簡単に言えば、通俗書によって哲学をやるべき人間と古典や既存の業績との関わり方が歪んでしまうほど、学術という営みは脆弱ではないということ。漫画や萌えキャラやアイドルや都内の三流通俗教員が何をどうしようと、やるべき人間と哲学との関わりに影響はない。もちろん、通俗書や何とかカフェから入っていないということに優越感や自意識をもつのはバカだけど、逆にそこから入ったというていどの人間が哲学を「やるべき」なのかどうかは、それこそ戦地で人生を問う子供に比べたら、僕には単なる勘違いだとしか思えない。

したがって、昨今ではガキに哲学を教えるおフランスや北欧の単なる流行をまたぞろ追いかける人々が青山ブックセンターあたりで田舎者学生を煽ってるんだろうけど、そんなことで世界は何も変わらない。そもそも哲学に限らず学問について「学校」という制度で教えたり伝える手法を自明視している時点で、彼らは学校教員という自意識に引きずられている。なんで自分達がアニメや漫画や落語や演劇「も」哲学のテーマにできているのかという自覚が無いのだろうか。

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