Scribble at 2024-04-27 20:51:55 Last modified: 2024-05-05 08:14:24

大学で学ぶ効用とか意義について、それこそ大学へ実際に入る前から友人にも喋っていたことだし、或るときは大学院の先輩や指導教官にすら話したことがある。当サイトでも、いつぞやの落書きで書いたことがあると思うのだが、平たく言えばアントニオ猪木氏の平手打ちである・・・読んでいる人の大半は、科学哲学のサイトで何を言っているのかという表情をしていそうだが、もう少し言えば「身の程を知る」ということだ。あるいは、ここ数年のあいだに続々と翻訳されている周回遅れのポストモダンと言ってもよいフランス思想の言葉を借りるなら、「有限性」というキーワードを使ってもいいだろう。再び粗野な言い方に戻るが、受験競争を経た高揚感を打ち砕いてもらい、頭を張り倒されるために大学で学ぶのだ。

ものを知らない人というものは、身の程を知らないがゆえに、自分が努力して成し遂げただけの些末な成果を過大評価する傾向がある。よく言われる自己の肥大化や厨二病的な全能感と言ってもよいが、要するに馬鹿はものを知らない。したがって、1年ほど費やして難しい本を読破したという、大学院生なら誰しもやるようなことをやったというていどのことで読書感想文を書き、そしていまなら KDP を利用して、歴史に名を残す業績とやらを電子書籍として販売して★1つといったレビューを食らうわけである。そうして、これはしばしばドクター崩れにもいるパターンだが、吾輩のような孤高の天才思想家を理解するものなど市井にはおるまいといった不平不満をブログとかに書きなぐって、適当に塾の先生でもやって死んでいくわけだ。

そうして勝手に管を巻いているような素人野球評論家のオヤジみたいなのは、別に放っておいてもいい。でも、あなたが大学のプロパーとして実際に学生と接する立場にあるとか、あるいはカルチャー・スクールにやってくる暇な老人とかを相手に語る立場にあるなら、ぜひとも彼らには冒頭で述べたような意義を伝えてもらいたいと、市井のアマチュアの一人として願っている。もちろん、制度的な実状から言って大学という場所に限定しているが、どこそこ大学に入学するということを必要条件だと言っているわけではない。それくらいは、いくら英語の本を読むか、しょーもないレベルの確率偏微分方程式を解くしか能がないきみらでも分かるだろう。

無能な人間や、知識を自ら求めるという動機づけに欠けた人間は、自分を含めて人類がいかに未熟であるかという自覚に乏しい。もちろん、最終到達地点が分かっているなどという傲慢は宗教家でもなければ考えたり想定はしないだろうが(あるいは科学哲学のプロパーでも「旧帝大を退官した後に底辺大学の学長になる」といった到達地点は見据えているのかな?)、少なくとも自分たちが未熟で、手探りの状況にあるということくらいは学生や聴講者に教えられるであろう。セミナーで取り上げる本を一冊ほど読んだくらいで何ほどのものかという、そのていどの成果を圧倒するような具体的な見識を示し、学生や聴講者をあっと言わせるような何かを見せることこそ、大学教授の最初の仕事というものであろう。(もちろん、それは別にフェミニストが毛嫌いするようなマッチョ的な振る舞いである必要はない。冒頭でアントニオ猪木がどうのと書いたが、学生に喝を入れるためにぶん殴れなどとは言っていない。)

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook